2018年9月26日水曜日

越前大野の天空の城

越前大野の天空の城
雲海が次第に町を包み込み、
奇跡のように浮かび上がる天空の城 越前大野城
なぜこのような絶景が誕生するのかはあとでお話しします
私は過去に「霧」の研究で詳しいのです
とりあえずこの城の歴史を紹介します
天正3年(1575)、織田信長は、金森長近と原政茂の両名に命じて、大野郡の一向一揆を収束させました。 その恩賞として、大野郡の3分の2を長近に、3分の1を政茂に与えたといわれています。翌年、長近は亀山に平山城の城郭と、その東麓に、大野が「北陸の小京都」と呼ばれる所以となる、短冊状の城下町をつくり始めました江戸時代に入ると、大野は福井藩の一部となり、福井藩主・結城秀康(松平秀康)の有力な家臣・土屋正明が大野城主を務めました。土屋正明は結城秀康の家臣でありながら石高は3万8千石(≒お米で約5700t)で、小藩の大名と同じくらいの領地を持っている優秀な人物でした。

寛永元年(1624)に、結城秀康の子・松平直政が城主となった際には、大野藩の石高は5万石(≒お米で約7500t)に加増されました。松平直政はその後、信濃松本(現在の長野県松本市)で7万石(≒お米で約10500t)、出雲松江(現在の島根県松江市)で18万石(≒お米で約27000t)と領地を加増され移っていきました。
天和2年(1682)に大老・土井利勝の子、土井利房が大野城主となると、幕末まで約180年の間に、土井家から8人が城主となりました。

最後には、明治5年(1872)に入札により本丸が商人など20人以上に払い下げられ、約290年の越前大野城の歴史に幕が下ろされたのです
幕藩体制が崩れると城そのものは厄介なシロモノということになっていますよね
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