人柱お静
お静慰霊碑丸岡城を築城する際、天守台の石垣が何度も崩れて工事が進行しなかったため、人柱を立てることとなった城下に住む貧しい片目の未亡人「お静」は、息子を士分に取り立てる事を条件に人柱となる事を申し出た。その願いは受け入れられ、お静は人柱となって土中に埋められ、天守の工事は無事完了した。
しかし、柴田勝豊はほどなく移封となり、息子を士分にする約束は果たされなかった。
それを怨んだお静の霊が大蛇となって暴れ回ったという。
毎年4月に堀の藻を刈る頃に丸岡城は大雨に見舞われ、人々はそれをお静の涙雨と呼んだ。現在城内にはお静の慰霊碑が残っている。
「堀の藻刈りに降るこの雨は、いとしお静の血の涙」
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